早いもので、あと一ヶ月でもう今年も終わり。
そして振り替えればこの一年も、
コロナに翻弄され続けた年となりました。
特にこの夏は感染が急拡大し、死者も多く出ました。
そういった中、必死に命をつなごうとした
多くの医療従事者の方々に、改めてここに
感謝の意を表したいと思います。
その後はワクチン接種も行き渡り、
感染者は急速に減少したので
少しは胸を撫でおろしたところでした。
しかし、今度は今までになく感染力の強い
オミクロンという変異株の感染が拡大し始め、
世界中でまた警戒感が高まっており
この闘いはまだまだ続くようです。
思えば、人類の歴史において
感染症との闘いは幾度となく繰り返されており、
そういった文献は、数多く残っています。
大学受験の英語の長文は
ありとあらゆる分野の学術論文が採用されますが、
感染症のお話しも、例外ではありません。
■イギリスにおけるコレラとの闘い
2014年の立教大学
異文化コミュニケーション学部の問題では
コレラ菌に関する問題が取り上げられました。
19世紀のヨーロッパ諸国、特に大都市において
当時はまだ謎とされていたコレラの感染症が
大流行して多くの人が亡くなりました。
イギリスのロンドンでも例外ではなく、
細菌学がまだ確立されていなかったが為に、
空気感染が原因と考えられていました。
今のコロナも発生当初は謎の病気で、
一時期、空気感染もあり得ると言われていましたよね。
しかし、イギリスの医学者であるジョン・スノウは、
この感染症は、井戸水や上水道が汚染され、
その水を飲むことにより引き起こされるとに
いち早く気づき、その調査を開始したのです。
そして、1854年にロンドンのソーホー地区で
短期間で600人以上もが死亡した事をきっかけに、
彼は2つの水道会社が
汚染水を供給していた事をつきとめ、
その井戸を封鎖させました。そしてやっと水道会社は、
水をろ過することを始めたのです。
1800年代は、そんなに遠い昔ではないので
ヨーロッパでさえ、やっとこの頃から水のろ過を
始めたという事実は驚きです。
その後、この感染症がコレラ菌に起因するものと
はっきりと分かったのは1884年。
何と、その30年後です。
現代のコロナとの闘いでは、その本質の研究、
ワクチンや治療薬の開発が、たった2年という
短い期間に急速に進んでいます。それを考えると、
人類の科学技術がいかに進歩したかが良く分かります。
結局、スノウは感染の特定因子を
突き止めることはできませんでしたが、
その後、イタリアの学者のフィリポ・バッチ-にが
コレラを生じさせる細菌である
カンマ状の病原菌を発見しました。
そして最終的にロベルト・コッホがこの洞察を
さらに発展させたので、コレラの発見者として
歴史に名を残したということです。
スノウは最初の発見者でありながら、
そこまでの境地には至りませんでした。
しかし、水に含まれる何かがコレラを引き起こす
ということまでは正しく推理したので
彼はこの分野では、「疫学の父」として
広く知られているようです。
■日本における天然痘との闘い
2010年の慶応大学理工学部の問題は
「まるで体が焼かれ、打たれ、砕かれたかのような
腫物が出来て彼らは死んだ。」という日本書紀の
何とも恐ろしい一説から始まっています。
これは、人の容姿を激変させて死に至らしめる疫病、
天然痘に感染した人を描写している文章なのです。
天然痘は仏教の伝来と共に中国から持ち込まれ、
西日本に拡大し、多くの犠牲者を出しました。
ということは、もう随分前からこういった感染症は
中国から伝来していたのですね。
当時の敏達天皇は、
忌まわしい疫病の原因が全く分からず、
これは、仏教導入に対する天罰であると考え、
仏像を水路に捨てさせ寺を焼き放つという
大胆な行動に出てしまいました。
しかし、流行を抑えることはできず
天然痘は平城京にまで達して大拡大し、
その当時、平城京の政務を司っていた藤原四兄弟も
感染して死に至った、との記録があります。
感染拡大がなかなか収まらない中で、
信心深い昔の人達の間では、再び仏教の信仰が強まり、
この疫病を取り除く願いを込めて
743年に奈良の大仏が作られたということです。
誰しも知っている奈良の大仏が、まさか
「疫魔退散」の為に作られたとは、
私も知りませんでした。
しかし、その後も天然痘は大流行を重ね、
天皇家や名だたる将軍らも、感染してゆきました。
東山天皇はそれが原因で、崩御したと言われています。
また、江戸時代には、徳川家光を始め、
15名中6名もの将軍が天然痘で苦しんだようです。
文学界も例外ではなく、
「蜻蛉日記」の作者である貴族の女性が
感染して死亡したとされています。また、
松尾芭蕉は天然痘の痕があったと言われています。
「雨月物語」の作者、上田秋成は感染して
一時期目が見えなくなりました。
夏目漱石も子供の頃に天然痘に感染したようです。
感染症というものは職業や階級に関係なく、
私達皆に脅威を与えるものですね。
そういった中、西洋ではいち早く
ジェンナーの種痘(ワクチン)が開発され、
天然痘の予防に貢献したようです。しかし徳川幕府は
ワクチンを受け入れるのに時間がかかった、
とされています。昔も今も、
日本の政府の対応はちょっと遅いようです。
そして文章の最後には
「恐ろしい禍との闘いが終わったわけではないが、
少なくとも形成は転じたのである。」
と記されています。これは、今の私達にも
確かに言えることではないでしょうか。
■現代におけるコロナとの闘い
そして現代において、私達は
昨年からコロナの感染拡大と闘ってきました。
そして今年、多くの大学が早々と
このコロナに関する文献を
英語の受験問題として採用したのです。
2021年早稲田大学文化構想学部の問題は
世界的に有名な経済誌であるForbesの
昨年 6月号の記事からの記事で
その内容は色々と考えさせられます。
コロナの感染拡大により、私達は外出を制限され、
人との関わりもリモートとなりました。
これより、まだまだ遠い未来の話であったはずの
最先端のロボットやAIの使用が
広範囲に、そして急速に普及し、
いきなり現実のものとなりました。
隔離が感染拡大を阻止する最も有効な策であるものの、
政府が民衆に対し、
AIによる監視や社会的規制を強めてゆけば
人民の基本的自由・人権の尊重の
侵害になりかねないと、
この記事は警鐘を鳴らしています。
また、早稲田の社会科学部の問題は
アメリカの有名な新聞 The New York Timesの
コロナ禍で苦悩する聴覚障碍者に関する記事でした。
彼らは耳が聞こえない分、人の口の動きを見て
相手を理解するのですが、皆マスクをするので
それが出来なくなりました。
さらにソーシャル・ディスタンスで、他者と
2メートルの距離を取ることで、視覚的情報が入らず、
人との意思疎通をすることが
不可能になってしまった、と言うのです。
また、テレビやネット上での
コロナに関する必要不可欠な情報も、
手話通訳や字幕が必ずしも無いので、分からず、
彼らはかつてないほどの
社会からの断絶を感じているようです。
コロナの感染拡大が多少なりとも収まってきた今、
今後このような国難があった場合、アメリカ政府は
聴覚障碍者やその他の弱者を後回しにするのではなく、
まずは彼らの事を考え、優先し、
対策を講じるべきである、と訴えています。
そして明治大学の経営学部の問題は
こちらも世界的に有名な経済雑誌、
The Economist の昨年3月の記事で、
ソーシャルディスタンスの時代における
挨拶の作法を考察する記事でした。
人との挨拶は昔は握手。それがハグに変わり、
今ではフランス式の頬にキスが一般的となりました。
しかし、コロナのお陰でそういった習慣が
一瞬でご法度となってしまいました。
マスクやソーシャルディスタンスが
当たり前になった世の中でも、
人々はすぐに「ひじタッチ」のような
互いに感染させない工夫をこらした
挨拶の仕方を生み出しました。しかし、
コロナが収束すれば世の中の人達は、
またハグやキスに戻るのか?と
著者は問いかけますが、彼自身は
コロナ後の世の中は、人と距離を取ることが
正当なのことで礼儀正しいものとして
存続するであろうと主張しているのです。
人類の歴史は、
言わば感染症との闘いの歴史。
現代の私達も
コロナとの闘いが
まだまだ続く。
しかし、
治療薬が開発され
「一粒の希望」が見えてきた!
だからまた、
心おきなくお教室に集い
共に英語を学ぼう!
感染症の歴史を
深堀した英語の長文問題は
語彙も難しいが
社会的背景の知識も無ければ
なかなか厳しい。
でも、下北沢校なら
そんな長文を読めるようになる
お手伝いが出来ます。
今すぐ、
下の検索マークをクリックして
体験レッスンへお申込みを!
あなたのご連絡、
お待ちしております!